さらばミソジニー

いつもの日常とはまた違う、数時間の出来事を圧縮して書き留める。

そうして、それが、私やほかの誰かに、何かの感情を生み出せばいいと思う。

 

ふらりと、マッチングアプリを使用してみた。

ある一人の男性は、すごく私が好きな雰囲気と顔で、電話すると話し方や対応も大人で、私たちは1時間くらい楽しく話したあと、後日会う約束をした。

私はマッチングアプリを通して人に会うのが初めてだったので、とてもどきどきした。期待しすぎないよう、でも、楽しめるよう。でも、危険が起きないよう、最低の出来事も想像しながら、その日を待った。

出来心で彼の名前をFacebookで検索してみた。すると、フルネームの漢字も教わっていないのに、あたりをつけた検索の6番目くらいに彼らしきアカウントを見つける。それで、某有名大学出身だということがわかった。こんなにあっけなく知ってしまっていいのだろうかという後ろめたさもありつつ、Facebookのアイコンに映る彼はやたら愛らしく見えたので、私はもっと会うのが楽しみになる。

 

夕方、二人で決めたお洒落なお店の前で待ち合わせる。想像していたとおり、随分大人で、遅刻した私を彼は、遅刻くらいでどうも思わないよ、と笑った。

カウンターの席に座り、綺麗な内装に劣らない、美味しく綺麗な色のお酒を二人で飲みながら、美味しい料理をつまんだ。サラダとか、お肉とか、ピクルスとか、そういうの。

 

とにかく会話が弾んで、私たちはよく笑っていた。洋服の趣味とか、料理の味とか、今日は暑いねとか、この時間は夜と呼ぶのか夕方と呼ぶのか、そういうことを話しては、私たちはくすくすと、けらけらと、そして時に真面目な仕事の話をした。

きょうだいの話になったとき、彼は家がとても貧乏だった、と言った。

そうなんだ、私の家は、たぶん中流家庭と言われるのだろうな、と私は言った。

そのあと、お互いの仕事の話になった。

それで、私はフリーランスでソーシャルビジネスをしているという話をした。自分の仕事を説明する際に、欠かせないジェンダーギャップの話もした。

「女性であるから、発言しにくいとか、なめられやすいとか、あるでしょう、そういう時にね…」みたいになるべく噛み砕いて伝えた。

 

ふうん、と彼は聞いたあと、「きみが羨ましいよ」と、にこやかに言った。

羨ましい?それは、私がフリーでやっているから?と問いかけた。

「きみは、頼る先があるんでしょう?」それは、頼る先?家のこと?

「そう、やりたいことをするためには金がないと、俺は、すべて金だと思ってる。」

うん。「金があるから、きみはやりたいことができたんだろう?」そうかも、ね?

「きみは何が不満なの?きみは、抑圧されているんだろ?」彼は言った。

うーん、もちろん私は女性である以上一定の抑圧は受けている、でも私が仕事でしたいのは、私の救済だけではなく、もっと社会に溢れる人たちに対してで…と私が言ったところで、彼は言った。

「女性だから、って、そういうので、何を損しているの?まず、金がないと、何もできない。俺は、そういう女性だから何かしてくれ、というのは嫌なんだ。俺は、努力しているヤツが報われる社会になってほしい。」

つまり…お金の分配が一番大事って言いたいんだね、と私は言った。それも大事だと思う、私は私が関わる事業は、基本的に参加者からお金を取らないことにしているんだ、それは、家の格差関係なく参加できるといいな、という思いがある。だから、パブリックな場とかと一緒にやることが多い、と言うと、彼は笑って、

「きみが嫌いな体制からお金をもらっているんだ。それって、矛盾しているんじゃないの?」と言った。私はなんて答えたんだっけ。でも構造はインターセクションで交差してる。社会は多面だし、すべて綺麗になんてできないよ、だから、やってるんだよ。そんなことを、言った気がする。むかついた?と私は聞いた。「ううん、面白いと思っただけ」と彼は言った。

私はそのとき傷ついた気にはならなかった。彼の思想と、私の思想は、ああまりにきっぱりと分断があったから、私はくっきりと「ああ、女性の立場のことを何も知らないんだ。」と思った。そのあともいろんな話をして笑ったりしながら、意見が違うと「思想が違うのなんて当たり前」と言った。

話し込むうちに、彼は私にさりげなく触れてくるようになった。悪い気はしなかった。私は、彼の思想には心底嫌気が指したが、彼が隣できらきら放つ肉体的魅力に惹かれていたのも確かで、私の頭は、私の嫌悪する価値観と、彼の肉体的魅力を天秤にかけていた。お会計は割り勘だった。

 

お店を出ると、彼はさあ、どうしよう。帰ろうかね、と言った。

そして、彼の家の方角でもある私の使用する駅まで、手をつないだ。彼は私のあたまを撫でた。

タクシーに乗りたがる彼に、私はこんな短い距離、歩きなさい、というとそうねと言った。そしてここでいう彼のいう「帰ろうか」は「(二人で)(俺の家に)帰ろうか」であることが非言語でわかった。

たしかに、叩き上げで、苦労をして、ミソジニー丸出しの、この手を繋いだ先の男性の肉体は、真実みを持ってそこにあるのだった。彼に、手をつながれたり、触られたり、キスされたりしながら夜の街を歩くのは、悪い気はしなかった。どう考えても未来なんてない二人の関係性だとしたら、私が嫌う価値観だとしても、楽しむのもアリじゃないか。

「あそこだよ」と指さされた先はどうやら彼の家らしく、流されるように近くのコンビニに寄った。慣れてはりますなあ、と心の中でつぶやく。

 

そして、「クレンジング家にある?」と彼に聞くと、ないよ、と返ってきたから、じゃあ、買っていい?と聞いた。うん、買いなさい買いなさいという彼のカゴにクレンジングを入れると、「いや、自分で買いなよ。」と言われた。なんで、別にこれくらい買ってくれたっていいじゃない?と私はちょっと媚びて言った。それでも、「いや、自分で使うものは自分で買いなよ」と言われた。どうやらマジらしい。

それで、さっきまでゆらゆら揺れていた私が毛のうるジェンダーに関する彼の価値観と、彼の肉体的魅力が、前者に振り切られた。

私は、今度は媚びずに「なんで私が買うの?あなたは稼いでいるんだし、それくらい買ってくれたっていいじゃない」と言った。彼はさっきと同じようなことを言った。

「別に自分で買いたくないなら、バイバイしよ、」と言った。私は少しの間黙った。「俺が買うのはおかしいでしょ、あなたが使うんだから。俺がいくら稼いでるかとこれは、関係ないでしょう。」

「なるほどね、じゃあ、今から『私の家くる?』って私があなたに言ったら、来るの?」

「いかないね。」

「私が言いたいのは、その『非対称性』なんだよ」

「なんだよ、いやなら帰ろう。」

 

それで私は、うんわかった、じゃあね、とひらひら手を振って駅のほうへ歩いた。

天秤が、崩れる。彼の肉体の輝きが、消えた。

すたすたとまっすぐの道を歩きながら、私は茫洋とした気持ちで、後ろを振り返りもせず、ああ、明日は何するんだっけ、と思った。

 

地下鉄に乗って自分の最寄り駅についたとき、どっと疲れが押し寄せてくる。

私、恋のきらめきが消えるのは、またはうまくいかないのは、相手が私を好みじゃないとか、その逆とか、ノリが話ないとか、性格が合わないとか、そういうことだと思ってたよ。

彼の思想は私は心底嫌いだが、それは社会がつくったものでもある。社会が作り出した、抑圧。そうした政治的なことが、あったかもしれない私の(ワン)ナイトを、惹かれ合う者を分断し、恋のきらめきさえ私から奪われてゆくのを感じた。

 

私はジェンダーの価値観の分断、ミソジニーやいきすぎた新自由主義が私の私生活になだれ込んでくるのを、それを確かに感じた。そしてその雪崩は、恋心さえも巻き込みぶっ壊し、粉々にする。頭の中には「125」の数字が大きく大きく揺れている。ジェンダーギャップ指数、125位。過去最低。うん、まぎれもなく、125だよ。そうだよ。

 

言葉たち、踵を返す力を私にくれてありがとう。

遠くにひらひら手を振るよ。さらば、ミソジニー